階層都市 〜そよ風に寄り添って〜

モーニング娘。などなど

コミュニケーションの肝要部

 

コミュニケーションは、コミュ力、コミュ障などいろいろなコミュニケーションにまつわる言葉があるけど、どこが重要なのだろうか?

 

コミュ力

ここではコミュ力に焦点を当てる

 

高コミュ力

 

コミュ力があるやつ、こいつはコミュニケーションに対して何にも思ってない=今のところ問題が出ていない、なのでまぁどうでもいいが、単純に羨ましがって真似することが正解ではないと思われる

高コミュ力=ハイテンション、初対面ですぐ仲良くなる、物怖じしない

という印象があるが、この裏を返せば、人のことを考えない、横暴、無思慮

こうもとらえられる

 

ここでコミュ力の環境を整理する

・ コミュ力なるものが発揮されるのは主に会話である

・ 会話はある程度双方の歩み寄りが必要である

高コミュ力とはこの歩み寄りを短時間で行うということなのではないか

しかし、この短時間の歩み寄りは相手のこと、自分の評価を考えてはできない

究極的に相手のことを考えたら、何も話さないのが正解になってしまう

つまり、双方のダメージ(相手のことを考えない、自分の評価)を顧みず突っ込んでいく、これが最高のコミュ力と考えられる

 

これじゃあ長く付き合う友達がいないのでは?と思うが

高コミュ力同士、つまり究極的にはノーガードで殴り合っても痛くない連中がつるめば問題ないし、殴りに対して少しは我慢、許容する人もいるだろう

 

ここで問題なのはこの「高コミュ力」自体は自分を「低コミュ力」と考えている人の中にも持っている人が多いこと

実際の高コミュ力連中は試行回数は多いため、そのままで自分の居場所にスポっとはまるやつ、軌道修正してゆくやつなどがいる

しかし、この低コミュ力と自称する連中で無意識に「人のことを考えない」連中はまずい

彼ら低コミュ力が小さいコミュニティで面と向かって何とかコミュニケーションを維持してきて、環境や時間が変わり、少し離れて密なコミュニケーションが取れなくなったときに相手側に、「無意識に人のことを考えない」部分が顕在化する

こうなると友人を失うことになるが、自称低コミュ力は高コミュ力なのでいざとなったら思いっきり人を殴ることもできる

語学を習得しなければならない環境になったら、語学なんて習得できるわけで

コミュ力を使わなければならない場面になったら、容赦なくコミュ力を使うだろう

 

低コミュ力

 

・ ここでの高コミュ力

・ ここでの高コミュ力(自称低コミュ力)

いままではこの2つを整理した

つぎは 「ここでの低コミュ力」である

ここでの低コミュ力はここでの高コミュ力と反対で、相手のことを考える・丁寧・思慮深いである

は?良いやんけ

そうである良いのである、しかし、

短時間の歩み寄りができない

究極的に相手のことを考えたら、何も話さないのが正解になってしまう

のである、一長一短

 

正解は?

 

コミュニケーションに絶対的な正解はない

ようは自分の居心地のいいところに行け、これである、行ける速さは低コミュ力のほうが遅いかもしれないが、どこかに居心地のいい場所はある

ここでは究極的、極論じみて展開したが実際は微妙なラインにいる人がほとんどである、中コミュ力と表記してもいい

やはりどっちに転んでも、経験し、学ぶ部分が重要だろう