やるせなさ(updated)
先日のテレ東のザ・ピース(updated)の「良いところ」を紹介しようとして、何回も観たんですよ、動画で
自分勝手に正直言いますと、テレビ画面だけで観る初見の今回のザ・ピースは良くなかったんですよ
そもそも私的に曲であるザ・ピース(updated)がオリジナルと比べて良くなくて、そうして良くない楽曲なので見る目も厳しくなってしまう中、ダンスも最高ではなく、自分的「ここ一番」(選挙のキョ↑の跳ね)も少し残念で、カメラも良くなかったんです
もちろん他に良いことがたくさんあることは知ってるし、この程度の良くないことでどうこうなることはないです、彼女たちがとても忙しいことも知ってるし、この曲は長いことやっていないこと、あの時のメンバーもいないし、歌割も違うし、「キョ↑」は難しいだろうこと、人数も増えたことも知っていますので、終わった後は「運が良くなかったね」となります
でも幸か不幸か、自分が納得できる浅瀬にある「良いこと」が無かったので、より深いところに潜っていってしまったんですね
すると見つかるんです「良いこと」が
今回の大発見は、「おしりひよこかえでぃ・ぴょんぴょんまりあ」でした
このような経過があって題名でふと何を思ったかというと、「やるせなさ」なんです
このやるせなさとは「パフォーマンスをしている彼女たちに同情する形でのやるせなさ」「自分に対してのやるせなさ」のふたつです
パフォーマンスをしている彼女たちに同情する形でのやるせなさは
今回の超大発見「おしりひよこかえでぃ・ぴょんぴょんまりあ」は普通に見てるだけじゃ見つけにくいということに起因しています
まずこの二つの場面、映った画面の何人かいる中の1人です、1人がピックアップされていて、「かわいいだろ?」となってるわけでもないし、今回は生放送だし、無編集、しかもテレビでは一回だけしか流れず、ネットの動画は画質に限界がある、発見は困難です。初見で発見できるのは加賀や牧野が好きで常に1人を画面の中で探しているファンくらいでしょうか
画面に映ってない場面でも彼女たちは全力でパフォーマンスをしてるだろうし、それが表に出てこれないことが非常にやるせない・・・
自分に対してのやるせなさは
おそらく今回のこの3分ない出番の中で、画面に映ってない場面でも私の琴線に「良い!」と引っかかる発見はたくさんあったと思います、でもそれは私には絶対発見できないことです
ここで私は先日拝見したブログ
本当に「見る」ことができるのは一度に一人だけと感じるようになったのです。当たり前のことですが、一度に全員にピントを合わせるというのはそもそも肉眼(ライブ)では不可能
と、自分がモーニングの2016ひなフェス動画を見ながら思ったこと
「あーあ、1人につき最低4台位カメラ付いてないかな、カメラ目線のアップ表情、正面からの1人の全体、あと右と左から角度をつけて、もちろん高画質で、こうすれば個々のダンスが全員分満足のいく形で観れるな」
を思い出しました
そうなんです「本当に「見る」ことができるのは一度に一人だけ」なんです、やるせない気持ちになりました
でもよく考えたらやるせなくていいのかもしれませんね、やるせないから彼女たちは努力する、やるせないから私も精いっぱい見ようとする
足りないから満たそうとするんですよ多分、満ちていたら進まなくなるかもしれませんからね
でもたとえ全部見たとしても自分の琴線に触れないことなんてままある(琴線はみんなそれぞれ違う)んだから、「運」で片付けてしまってもいいのかもしれませんね